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海外旅行つれづれに
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サンフランシスコの郊外のオークランドでの生活が始まった。
最初は日本人の姿をあまり見かけなかったのですが、
いざ、授業が始まると日本人がたくさんいることにやっと気がついた。

最初は日本人同士遠慮していたけれど、いつの間にか日本人村ができていた。

良いことがあった。
国際免許を取っていったのだが、アメリカの人には通じない。
特にお店でお酒を飲むときなんか、日本人は若く見られるので証明書を求められる
国際免許を出しても信じてもらえない。

そこで、アメリカの面鏡を取る事にしました。
アメリカの自動車免許を取るのは至って簡単。
車持込で縦列駐車などをするのと、筆記試験で合格するだけ
筆記試験はわざわざ英語で受ける。そうすると辞書を持ち込めるので合格する。

その辞書に正解の記号を書いておくのです。

3週間後にアメリカの免許が手元に届いた。

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無事に入学手続きも終了し、ドミトリーでの暮らしも始まってさあ英語のレッスン開始となった。まず、クラスわけのテストを受けることになった。レベルが1~10まであり日本人のほとんどがアッパークラスに分かれれた。私はレベル7に入った。このレベル7に入った日本人が私のほか1人女性がいた。その女性とは今でもお付き合いさせてもらっています。

我々日本人は英語のグラマーの成績がいいために、レベルの高いクラスに入ってしまう。でも、実際にレベル7に入って授業を受けているととんでもないことに気がつく。最初はクラス全員がグラマーもスピーキングもヒアリングも同じようなレベルだったのが、1ヶ月経ち、2ヶ月経つと歴然の差が生まれる。その差は母国語の違いだと後で気がついた。スペイン語系やポルトガル系の人たちのもともとの言葉は英語と同じなのです。彼らの辞書を見ると英単語=スペイン語単語、もともと彼らのボキャブラリーはすごいのです。やられたあという感じでした。




サンフランシスコで1泊をして翌日オークランドにある
「ホリーネームズカレッジ」へ1日早く行ってみた。
閑散としていて、え?これが学校

まだ、お休み中だったのです。
サマーバケーション

改めて受付の日に学校へ行った。
すると、居るわ居るわ、世界中からの学生がたくさんいた。

同じ期に日本人も数人いた。

学校の過ごし方や滞在中の保険の話
そしてここオークランドの町の様子など聞いた。

全寮制で一部屋二人で同じ国の人とは一緒の部屋にはならなかった。

私の最初のルームメートがイランの人
物静かな人でした。今、どうしているのかなあ。

出身の国
イラン、エジプト、ベネズエラ、メキシコ、韓国、中国、もちろん日本
そして・・・思い出せない。





大学休学中にアルバイトを掛け持って目標の金額が貯まった。
パスポートやビザも揃った
夏に田舎に帰り最後の報告「アメリカへ行ってきま~す」と。

8月の末に大韓航空に乗り、ソウル経由ロサンゼルスへ
ロサンゼルスで1泊して翌日にサンフランシスコへ。

大韓航空の飛行機に乗った。
1人での海外はもちろん初めてだったので不安だった。
ソウルからロサンゼルスへの便で隣に座ったのが
ロサンゼルスに滞在していた日本人だった。
いろいろ話をお聞きして、勇気が出ました。

ロサンゼルスの空港に到着し、隣に座った女性の
彼が空港まで向かえに来ていたので、私も便乗させてくれ
ロサンゼルスのホテルまで送ってくれた。

感謝感謝です。

ヨーロッパから帰ってから大学を休学
休学でも授業料高かったなあ、交渉の余地あったかもしれない
4月から出発まで半年あったので

その間に留学の準備をしていった。

留学ビザを取得しないといけない
覚えたてのタイプライターでビザ申請用紙にタイピング
できたああの歓声をあげて翌日神戸の領事館へ

必要書類をすべて準備していざ、面談へ。

最初はあることで不受理、え?どうして?と思った。

タイプされた文字が少しずれていたのです。

そのまま、午後に直談判、申請が通ってしまった。
これで、下宿へ帰れると。



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